少し前のこと。気持ちのいい晴天に恵まれたある休日、日本刀の展示を見に大倉集古館へ行ってきた。国宝や重要文化財に指定されている福岡一文字の太刀が数多く揃えられていた。鎌倉時代から残る日本の遺産。
作られた過程や刀に宿る歴史を思いつつ、じぃぃーっと刀やその鞘を見つめていると、心に『何か』が強く響いてくる。「理由が説明できない感動だ、何だろう、これ」
刀たちもすごかったけど、一番印象に残ったのは、常設の普賢菩薩騎象像。その顔がすごく優しくて、見ているだけで安心する。その包まれるような不思議な感覚から思い出したのは、イタリアのサンピエトロで見た彫刻ピエタ。死せるイエスを抱くマリアの表情が、イエスの心も身体も抱くような、自身の悲しみや苦しみも全て内包するような、そして見ている私をも癒し包み込むような表情だった。
「大昔の人の手で創られたものがこうして今も生きている。そうか。きっとそれは魂が宿っているからだ。」
言葉にも「ことだま」と呼ばれる魂が宿る。口から発する言葉は目に見える形では残らないけど、俗に言う「心のこもった言葉」は、伝える側の思いとか願いとかそういった魂を相手の心に運び、多くの場合相手の中に抽象的な感覚としてちゃんと残っていく。
通訳の腕は、まさに話し手の「ことだま」を掴めるかどうかで決まると思う。話し手がどんなに意思を込めていても、伝えたいとがんばっていても、通訳の中でことだまが失われると、それはただの単語置換であり、大事なことが伝わらなくなる。それこそがロスト・イン・トランスレーションであり、深層構造を伴わない無意味な言葉のたれ流しだ。言葉が持つ魂をちゃんと掴んで訳せば、単語を多少落とそうとロスト・イン・トランスレーションは起こらない。
モノも一緒。大量生産されたものは無機質だ。できるだけ誰が思いを込めたもの(手作りには魂がある)を使い、大量消費は避け、仕事では「ことだま」を大事にしていきたい。
作られた過程や刀に宿る歴史を思いつつ、じぃぃーっと刀やその鞘を見つめていると、心に『何か』が強く響いてくる。「理由が説明できない感動だ、何だろう、これ」
刀たちもすごかったけど、一番印象に残ったのは、常設の普賢菩薩騎象像。その顔がすごく優しくて、見ているだけで安心する。その包まれるような不思議な感覚から思い出したのは、イタリアのサンピエトロで見た彫刻ピエタ。死せるイエスを抱くマリアの表情が、イエスの心も身体も抱くような、自身の悲しみや苦しみも全て内包するような、そして見ている私をも癒し包み込むような表情だった。
「大昔の人の手で創られたものがこうして今も生きている。そうか。きっとそれは魂が宿っているからだ。」
言葉にも「ことだま」と呼ばれる魂が宿る。口から発する言葉は目に見える形では残らないけど、俗に言う「心のこもった言葉」は、伝える側の思いとか願いとかそういった魂を相手の心に運び、多くの場合相手の中に抽象的な感覚としてちゃんと残っていく。
通訳の腕は、まさに話し手の「ことだま」を掴めるかどうかで決まると思う。話し手がどんなに意思を込めていても、伝えたいとがんばっていても、通訳の中でことだまが失われると、それはただの単語置換であり、大事なことが伝わらなくなる。それこそがロスト・イン・トランスレーションであり、深層構造を伴わない無意味な言葉のたれ流しだ。言葉が持つ魂をちゃんと掴んで訳せば、単語を多少落とそうとロスト・イン・トランスレーションは起こらない。
モノも一緒。大量生産されたものは無機質だ。できるだけ誰が思いを込めたもの(手作りには魂がある)を使い、大量消費は避け、仕事では「ことだま」を大事にしていきたい。
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by nKristin
| 2008-07-03 23:21
| 通訳と翻訳